神奈川県西部地震

最終更新日:2010年3月31日

 神奈川県西部を震源域とするマグニチュード7クラスの地震。南関東直下の地震の一タイプとして、地震発生の切迫性が指摘されている地震です。


73年周期の被害地震発生 (大井町史別編 大井町の地形・地質・地下水より)

 足柄平野の南端に位置する小田原はしばしば大地震に見舞われ、大きな被害を受けてきた。特に被害記録が残っている江戸時代以降については、1633年寛永小田原地震、1703年元禄関東地震、1782年天明小田原地震、そして、1923年大正関東大震災が小田原に大被害を与えている。石橋克彦氏・東京大学理学部助手(当時。現神戸大学教授)は、これらの地震について古記録を詳細に検討し、寛永、天明、嘉永の各地震はプレートの沈み込み面とは異なる小田原直下の断層活動で発生したマグニチュード7クラスの直下型地震であると考えた。元禄および大正関東大震災は、相模トラフでのプレート沈み込みに伴う巨大地震だか、関東大震災だか、関東地震時に本来なら沈降すべきトラフ西側の真鶴や初島付近が隆起したことから、相模湾の北西部に関東地震と同時に南北方向の別の断層運動が生じたと考えた。小田原に小被害を与えた地震はこの他にも、1645年、1647年、1870年にも発生しているが、これらは江戸などの他の地域に大被害を与えており、小田原付近が震源とは考えられないことが分かった。

 また、この小田原付近に震源を持つ地震の発生間隔を見ると、それらは見事に73年の規則的な周期(正確には73.0+−0.9年)で起きていることが分かった。同一地域にこのような規則的な地震、断層運動が生じることは偶然でとは考えられない。これは、特定の断層に一定の応力が加えられ、その結果一定の間隔で断層運動が生じるためと考えられる。一定の応力を加える原因はプレート運動である。すると、特定の断層は何かが問題となる。石橋氏は相模湾の北西部、伊豆半島の東岸沖から小田原の直下に延びる南北走向の高角横ずれ断層を想定し、これを西相模湾断裂と呼んだ。この断層は平均73年周期で活動を繰り返しており、この断層が活動する時に、もしトラフ沿いの地域に大きな地殻歪みが蓄えられていると、この断層活動がトリガー(引き金)になって、トラフから北西に傾き下がるプレート境界断層が変異し、マグニチュード8級の巨大地震を引き起こすと考えられるのである。

 73年周期に基づくと、1998年を中心に前後6年程の期間に小田原直下でマグニチュード7級の大地震が発生する可能性が高い。石橋氏はこれを小田原地震あるいは神奈川県西部地震と呼んで、その防災対策の強化を呼びかけた。


神奈川県西部地域で代表的な被害地震

地震名 対象地域および周辺の被害状況
1633
(寛永10)
寛永小田原地震 7.1 小田原で最も強く、小田原城矢倉、門塀などことごとく破壊。民家倒壊多く、圧死150人。
箱根で山崩れ。熱海、網代で津波の被害
1703
(元禄16)
元禄地震 8.2 小田原領で出火、死者2,291人、倒家8,007戸。箱根の関所で石垣などが崩れ、箱根山中で山崩れ。厚木および川崎〜小田原でほとんど全壊。鎌倉二ノ鳥居まで津波
1782
(天明2)
天明小田原地震 7.3 小田原城の櫓、石垣破損。民家倒壊1,000戸。箱根、大山で山崩れ。津波あり?
1853
(嘉永6)
嘉永小田原地震 6.5 小田原で被害大、天守の瓦、壁落ち、ところどころ大破。領内の被害は、全壊1,032戸、半壊2,477戸、破壊544戸、死者24人。箱根、根府川関所破損。山崩れ341か所。真鶴にも被害。津波なし
1923
(大正12)
関東大震災 7.9 神奈川県で、死者29,065人、行方不明4,002人、家屋の全壊6,288戸、半壊52,863戸、焼失68,569戸、流出136戸。小田原城の石垣大崩壊。鎌倉の大仏が40p移動、30p沈下。根府川の山津波で根府川部落が全て埋没
(日本被害地震総覧等による)

神奈川県西部地震の震度分布

 「神奈川県地震被害想定調査報告書」(神奈川県地震被害想定調査委員会)に基づくものです。

神奈川県西部地震の震度分布図

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