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五感のささやき 2015年度

印刷用ページを表示する更新日:2017年10月23日更新

平成28年3月3日 おおい自然園に

 日本から北海道にかけては、未だに冬の厳しさが続いているものの、今年は暖冬である。列島各地より花の便りが届き、春の訪れが報じられている。この地に於いても梅や早咲き桜が満開となり、桃の節句を賑わせている。
 大井町の四季の里では、残念ながら菜の花は終わってしまったが、早咲き桜が見ごろとなり、併せて「お山の雛祭り」を開催しています。多くの皆さまのお越しをお待ちしております。
 暦も二十四節気の「啓蟄(けいちつ)」を迎え、様々な生き物がうごめき出す季節となった。そして「おおいゆめの里」から酒匂川まである大井町全体とした「おおい自然園」も元気が出てきた。
 ヨモギが新芽を出し始め、フキノトウも初物の苦みの旨さを恵んでくれた。ゆめの里のコブシのつぼみも大きく膨らみ、今か今かと開花を堪えているようである。コナラやクヌギは新芽をはちきらせんばかりと待っている。雑木林の地表にはタチツボスミレなど春の花が刻々と姿を変えながら咲きだしている。
 虫たちもまだ地面へ這(は)い上がって来ないものの待ち遠しく待っているのであろう。空を駆け巡る鳥たちも春の訪れとともに姿を変えつつあるようだ。

 町内はもとより、多くの町外の方々にも大井町の自然に触れ合って頂きたいものである。多くの皆さまのお越しをお待ちしております。

平成28年2月1日 福寿草から

 毎年、年末の挨拶に「福寿草」の鉢植えを、毎年届けてくださる方があり、元旦に鮮やかな黄色い花を楽しんでいる。喜びと希望に満ちた新年のめでたさを、福寿草の花が一層引き立ててくれる。
キンポウゲ科の多年生である福寿草は、北海道から中部地方の山林に自生して一月から二月にかけて咲き、花が終わるとニンジンの葉に似た葉を出す。
新春の花として用いられるようになったのは江戸時代からときく。開運招福の花として親しまれたことから「福寿草」と呼ばれることとなった。また、正月に金色の花を開くため「元日草」や「朔日草」などの別名を持っている。
福寿草は、日光を遮られると花がしぼみ、陽があたると花を開きます。花弁を開閉することで内部の温度を下げないように調整する寒冷地に咲く福寿草の特性である。
厳しい寒さに負けず、けなげに花を咲かせる福寿草の姿は、私たちに冬を生き抜く知恵・勇気を与えてくれているようだ。
花には、人の心を癒す力がある。花を愛し慈しむ心を育み、実り豊かで充実した一年にしようと決意した元旦でありました。
「日あたりに出してやりたる福寿草」

平成28年1月4日 緊褌一番(きんこんいちばん)

 申寿、明けましておめでと うございます。
 今年は草木が伸長し、その姿や形がはっきりした状態となる年であり、様々な事象を乗り越えて、新しい種を蒔く年にすることが重要であると言われております。
 昨年5月、箱根の大涌谷周辺の火山噴火警戒レベルが引き上げられたことにより、箱根町の観光事業は大きな打撃を受け、非常に厳しい状況が続きました。我々周辺市町村も微力ながら応援をさせていただいておりましたが、晩秋には警戒レベルが1に戻り観光客も日増しに訪れるようになり、安堵したところであります。今後は以前にも増して箱根に更なる活気が生まれていくことを期待しております。
 一方、世界に目を向けると、テロや紛争はさらに拡大を続けており、加えて関連各国の動きも激化することにより、緊張感は依然として高まっている状態であります。また、 東アジア近隣諸国との関係性も刻々と変化を続ける中で、我が国の外交政策は方向性をしっかりと持ったうえで諸課題の解決に向けて取り組んでいくべきものと考えております。
 さて、大井町においては、 昨年夏に神奈川県知事が推進する未病政策の拠点施設である「未病いやしの里センター (仮称)」の誘致に成功いたしました。年末に策定いたしました、「おおいきらめきプラン後期基本計画」の成長戦略に位置付け、にぎわいを創出するとともに、大井町をはじ め県西地域の活性化につなげていきたいと考えております。 また、今年迎える町制施行60周年の記念事業への取り組みや、大井中央土地区画整理事業などを推進するとともに、 防犯・防災・消防施設などの整備を進めてまいります。加えて、空き家対策や子育て対策、相和地域の活性化や相和小学校の小規模特認校制度導入などを実施してまいります。
今年の私の信条は「緊褌一番」といたしました。「きんこんいちばん」と読みますが、「心を引き締めて物事にあたること。褌(ふんどし)を締めてかかる」という意味を持っています。課題山積の難局を打開すべく、緊褌一番、事に当たる所存でありますので、皆さまのご理解ご協力のほどよろ しくお願い申し上げます。
 今年も皆さまにとって良い年になりますよう心からお祈り申し上げます。

平成27年12月1日 年の瀬を迎えて

 2015年もあとわずかとなり、例年のことながら師走を迎え、急に慌ただしくなった。
 今年を振り返ってみると、国際的にはテロや紛争の拡大や関係各国の動の激化により、緊張感は日々高まり、ヨーロッパを中心に難民問題など新たな課題が国際的な議論になった年であった。
 国内を振り返ってみると、円安効果によって大手企業の業績は好調で株価も2万円台を回復した局面さえみせた。しかし、地方経済は依然として停滞感から抜け出す気配が伺えない様子である。長きにわたったTPPの交渉が妥結をみいだしたが、新たな経済のグローバル化を進展させるためにも、今後は更なる国内の規制緩和を推し進めるなど経済政策や農業政策が必要になるだろう。
 鬼怒川の氾濫は、今年一番の自然災害であるが、暴れ川酒匂川の流域にある我々は、記憶に留めて防災の教訓として行かねばならない。また、5月からの箱根の大涌谷周辺の火山噴火警戒宣言は、箱根町はもちろんのこと、我々周辺自治体の経済に及ぼす影響は大きなものであった。警戒レベルが1に戻り観光客が日増しに訪れるようになったことは安堵するところである。
 スポーツの話題といえば、ラクビーワールドカップ予選南アフリカ戦での劇的な逆転劇と五郎丸選手の活躍とチームプレーが印象的だった。この試合はあきらめない気持ちや心を鎮めるためのルーティーン、そしてリーダーであるキャプテンの判断力の大切さを多くの国民に教える機会となったのだろう。
 大井町においては、神奈川県が推進する未病政策の拠点となる「未病のいやしの里センター」の誘致をブルックスホールディングとの共同提案で成功することが出来ました。将来の大井町の発展の礎として参りたいと考えておりますので、多くの皆さまのご指導とご鞭撻をお願いします。

平成27年11月2日 初冬

 日ごと朝晩の冷え込みを感じ、朝はいつまでも寝床が恋しい季節となった。今年一番の木枯らしが10月25日に吹いたが、この日は「十三夜」であり旧暦の九月である。11月8日の立冬までは半月ほどあり、今年の冬の到来は例年より幾分早いようである。
 木枯らしは、西高東低の気圧配置によって吹く北風で、冬の初め木の葉を払い落して行く。冬の季節風の走りであるが、真冬の季節風のように何日も吹き続けることはなく、木枯らしの翌日は好天となって「小春日和」となることが多い。
 「小春」とは、陰暦の10月の別称で、「小六月」ともいい、太陽暦ではほぼ11月~12月上旬に相当する時季ある。その頃の穏やかな好天が「小春日和」で、日向は暖かいが日陰はひんやりしており、日ごとに朝晩の冷え込みが厳しくなっていく。
低気圧が平地に雨を降らせ、高山に雪を降らせて日本の東に抜けたあと、大陸から高気圧が張り出して、気圧配置は西高東低となり冷たい木枯らしが吹く。しかし、翌日は大陸高気圧が移動性となり、風は弱まって小春日和となる。
季節が進むと、暖かな好天を「冬暖」(ふゆあたたか)や「冬日和」などという。
木枯らし吹く季節は風邪やインフルエンザ、ノロウィルスなどが心配される季節でもある。充分な睡眠や栄養補給などの健康管理としっかりした防寒対策で、この冬を乗り切ろう。

平成27年10月1日 赤い羽根

 毎年10月1日から1カ月間、国民助け合い募金運動が行われる。この運動は、昭和22年(1947年)アメリカのフラナガン神父の奨めで長崎県、佐賀県、福岡県が実施したのを始まりとする。その後昭和26年に「社会福祉事業法」の制定により、法的裏付けもなされた。この募金は、戦後の混乱期の我が国に福祉事業の芽生えを与えたのではないだろうか。
 平成26年度(社福)神奈川県共同募金会の事業と決算を見てみると、高齢者、障がい児・者、児童・青少年などを対象として、日常生活支援や社会福祉施設支援、社会参加・町づくり支援、災害対応・防災などに10億1千万円程使われている。
 昨年度(平成26年度)大井町においては、赤い羽根共同募金で1,817,685円の協力金を得て募金会に拠出した。そして県からの配分金959,992円で福祉機材の購入を行った。ほかにも募金会からの助成により「福祉みんなのつどい」の開催、広報紙「社協おおい」の発行などの福祉事業をはじめ福祉への啓蒙や福祉への理解に取り組んだ。
 福祉の哲学である「自助」・「公助」・「共助」の「三助」の「共助」の精神が共同募金であろう。日本赤十字社の「社資の募集」や「年末助け合い運動」など、同様の募金活動があるが1月にわたる街頭での募金活動は「赤い羽根の共同募金」だけである。「赤い羽根の共同募金にご協力ください」という一生懸命なかけ声に協力いただき、共助の力で福祉の充実が図ることが出来れば「真の福祉」を手にすることができるのだろう。

平成27年9月2日 秋を迎えて

 今年の夏は日照りと酷暑が続く日々であったが、盆明けからの雨によって気温が下がり、凌(しの)ぎ易い秋を感じられるようになった。
 秋深まるごとに夜長となり、読書や思考に耽るのに最適になる。児童・生徒や学生たちにとっては、夏休みが終わり、勉学へ身が入る季節である。さわやかな空気は、物の輪郭を明瞭にし、音を澄み渡らせる。秋は芸術の季節でもある。涼しさは身体も動かし易くするため、スポーツシーズンでもある。また、稔りの秋であり、食べ物も豊富で美味しくいただける季節でもある。
 何より秋は収穫の季節である。我が民族は、この取り入れの豊作に願いを込めて、正月元旦から幾多の神事を執り行ってきた。そしてこの秋に収穫した穀物を一年の生活の糧として、計画的に消費し生きてきたのだ。
これからお米の収穫作業が始まるが、今年は天候が心配される。
 人々の命を左右する糧である穀類を収穫する「秋」は、一年を占う重要な季節であった。「秋」や「稔」は、「禾」に「火」や「念」で形づくられているが、禾とは、稲やの穂先に生えている毛のことで、稲や麦、稗、粟などの穀類の総称でもある。「禾」は、もともと穂をたらした稲の姿を描いた象形文字だったそうだ。
 そんなところから七十二候でちょうど今頃のことを「禾乃登(こくものすなわちみのる)」というのだそうだ。

平成27年8月3日 変わる風物詩

 この文章を書いている現在、暦の「二十四節気」では「大暑」である。毎日の暑さと日照りで大地は乾き、雨を乞うている畑の野菜がかわいそうだ。八月八日になれば「立秋」となり、暑さは続いても赤とんぼが飛び交い、ヒグラシが寂しげに鳴くようになるだろう。
連日の暑さの中七月末には、町内各地で納涼祭や夏祭りが開かれ、また近隣自治体の関係する夏祭りも多く開かれ、祭り一色の週末となった。
第29回大井よさこいひょうたん祭りも猛暑の中、盛大に開催され、県内外各地からよさこいチームの参加を頂き、熱気あふれる踊りが披露された。
夏祭りや納涼祭は、旧盆の行事として受け継がれてきたものであるが、近年は様変わりしてきた。盆休みに長期休暇があり、旅行やお盆に里帰りする家庭が多くなったからとのことである。
大井よさこいひょうたん祭りの原点も、盆踊りであったが時代の変化の中で今日の祭りに替わってきた歴史があるのだ。
夏の風物詩も少しずつ変化しつつある。昔は家庭で涼を取りながら皆でスイカを頬張ったものだ。家庭が少人数になってからは、何か人の集まる時でなければ一個のスイカをたいらげることが出来なくなった。やはり大勢で食べるスイカの味は旨いものである。
風物詩を楽しむのには、夏の暑さを和らげようという思いがあるのであろう。今はクーラーが必需品となり、快適に過ごしやすくはなった。それでも暑いことに変わりはない。夏の風物詩を楽しみたいものだ。

平成27年7月1日 ラーメン街道

 大井町金子に在住の内田光正(こうせい)さんが、小田原市上曽我で経営される「中華四川」は、40年の歴史を重ねるお店である。開店は昭和50年で国道255号線沿いの小田原市下大井であった。担担麺というと炒り胡麻風味を連想するが、内田氏の「タンタン麺」はそれと異なり、挽肉とザーサイを主成分とし、豆板醤と味付けニンニクで調理される。この「タンタン麺」は、豆板醤の加減で辛味を抑えたA、中辛のB、辛味を効かせたC、激辛のスペシャルCがあり、開店当初からの人気メニューである。私も若さに任せ辛さに挑戦し、大汗をかきながら征服感と満腹感を堪能したものだ。
 その後、平成4年に現在の地に新装移転されてからも、味の旨さだけでなく、家族を中心に心温まる接客が多くのお客様の心を惹きつけている。
 店主の内田氏は、東京調理師学校卒業後、恩師張しょう欽先生の指導で「中華四川の特製タンタン麺」を学び、年号が平成になってからは、「四川特製タンタン麺」を、カップ麺として発売できないかと研究し続けてきた。そして6月22日に内田氏監修のもと、KADOKAWA「横浜ウォーカー」の協力を得て、「全国麺めぐり」シリーズとして、「小田原系タンタン麺」の名称で全国のスーパー・コンビニで一斉に発売された。
 内田氏の考案された、「四川のタンタン麺」の美味しさを、全国の人たちに味わって欲しいものである。
 大井町には国道255号線沿道をはじめ、多くのラーメン店や食堂があり、醤油味のあっさりとした昔ながらの「中華そば」系、しっかりした醤油味系、どっしりとした「豚骨」系、それぞれがチャーシュウやメンマなどの具に工夫を凝らせて旨いお店が10店ほどある。多くの皆さんに「ラーメン街道」大井町を訪れて頂きご賞味いただきたいものである。

平成27年6月1日 水無月

 風薫る五月と炎暑の七月にはさまれ、湿度が高くうっとうしい梅雨期の6月に入った。以前には足柄平野の田植えの季節であったが、今では五月中におおかた田植えは終わっている。
 陰暦の「水無月」は、炎暑のために水が涸れ、水の無い月の意味である。もっとも、今日の新暦では七月にあたることから、現在の6月とはずれが生じている。また、アングロ人やサクソン人は、6月を「乾いた月」と呼んでおり、日本の「水無月」と同様の捉え方をしているところは面白い。
 英語では、6月を「June」というが、「Junoの月」の意味だそうである。ジュノーというのは、ローマ神話の神々の王であるジュピターの妻(女王)で、その祭りが6月のはじめにあった。彼女は結婚の守護神でもあり、ローマ人は6月に結婚し、翌春に子どもを産むのが幸せだと信じていた。そんなことから「ジューン・ブライド」と言われ、6月の花嫁は幸せになれるといわれている。
 6月はうっとうしい季節であるが、「アジサイ」や「アヤメ」・「ショウブ」など、暖色系が多い春の花色から、涼しげな花色に変わってくる時季でもある

 梅雨空の下で「アジサイ」や「ショウブ」を楽しみ、夜空にホタルが飛び交う光景は、鬱陶しさを吹き飛ばしてくれる。

平成27年5月1日 八十八夜

 野山が一斉に新緑に包まれ、ボタンが絢爛(けんらん)に花開き、力湧く季節となりました。
 立春から数えて八十八日目の夜を「八十八夜」といい、五月二日にあたり、初夏を迎える時期とされています。八と十と八を重ねた字は「米」となることから、縁起の良い「農の吉日」とされ、種籾(たねもみ)を蒔(ま)く目安の日とされて、本格的な稲作作業が始まります。また、茶摘みの季節でもあり、八十八夜に摘まれた豊潤に伸びた茶葉は、香りやさしく、ほのかに甘みのある新茶となり、長寿の薬と珍重されています。
 夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂るあれに見えるは茶摘みじゃないか あかねだすきに菅の笠旧文部省作詞・作曲の唱歌「茶摘み」です。

 この季節は、一年の中でも植物などの成長が著しく、過ごしやすい季節ですが、五月の初めに不意に冷え込む夜には遅霜が降り、農作物が大被害に遭うことがあります。もう霜の降りる時期でないが、くれぐれも遅霜油断はしないようにと、「八十八夜の忘れ霜」と警鐘とする旬の言葉があるくらいです。
 新茶の香りと甘みを楽しみながら、農作物の大事な成長期、遅霜のないことと豊かな実りを祈ります。

平成27年4月1日 新年度を迎えて

 卯の花の 匂う垣根に ホトトギス 
 早も来鳴きて 忍音もらす 夏は来ぬ
 佐々木信綱作詞の唱歌「夏は来ぬ」であり、晩春から初夏を臨んでの歌である。
 旧暦では四月の月名を「卯(う)月」とし、卯の花の咲く月から来たものでウノハナはウツギ(空木(うつぎ))とも呼ばれ、晩春から初夏にかけて白い花をつける。
英語での月名「April」は、開くという意味のラテン語から来たといわれ、「花が咲く月」の意味だとされている。
花々がいっせいに開くこの季節は、年度初めの月であり、入学・入社、サラリーマンの転勤や異動など、新しい人生に一歩踏み出す「門出」の月でもある。当に新たな人生に旅立つ人たちに、天空からの応援があるようだ。
 行政は、三月定例会にて「平成27年度予算」を議会で承認され、国が進める「地方創生戦略」、県のテーマである「未病を治す」を推進し、「大好きな大井町」を「元気な大井町」にするため「新たな気構え」で取り組んで参ります。「咲かせよう大輪を」・・・

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