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五感のささやき 2016年度

印刷用ページを表示する更新日:2017年10月23日更新

平成29年3月3日 咢堂桜

 我が国では、花といえば「桜」を指すほど、桜は人々の間で親しまれている。多くの人が桜前線の到来とともに、全国各地で花見を楽しみ、春の訪れを祝う。今年は、平年より花の便りが早く、河津桜の系統は葉桜となってしまった。
 アメリカにおいても「National Cherry Blossom Festival」(全米桜祭り)がワシントンのポトマック河畔で開催される。このお祭りには70万人以上の人が訪れ、世界でも有名なイベントの一つといえる。
 このポトマック河畔の桜の歴史は、1884年(明治17年)に来日した紀行作家で写真家のシモドア女史が、向島の桜の美しさに魅せられ、ポトマック河畔に日本の桜を植える運動をしたことから始まる。そして植物学者のデイビット・フェアチャイルドは、1906年(明治39年)に桜の苗木を輸入し、東洋の木がアメリカに根付くか試した。さらに第27代アメリカ大統領に就任したウイリアム・タフト氏の夫人が1903年(明治36年)に日本を訪れた際、荒川沿いの桜並木に感動したことで、ポトマック河畔に桜を植える要望が固まったのである。当時東京市長であった尾崎行雄は、日露戦争終結のためポーツマス条約の仲介の労にあたってくれたタフト大統領並びに米国民への感謝の念と親善友好を願い、桜の苗木3,000本を米国に寄贈した。
 そして時は流れ、1981年(昭和56年)、東京都足立区は区政50周年を記念して、ポトマック河畔の桜の穂木を採取し「里帰り桜」として足立区内に植樹した。
 「憲政の神様」と慕われた尾崎行雄は、号を「咢堂(がくどう)」と称する。彼は「人生の本舞台は常に将来にあり」を座右の銘として、1890年(明治23年)の第1回の衆議院選挙から1953年(昭和28年)まで60年余りにわたり、憲政擁護・議会政治の発展に尽くした人である。
 尾崎行雄の誕生地である旧津久井町(現相模原市緑区)の「尾崎行雄を全国に発信する会」でも「里帰り桜」を「咢堂桜」と命名して相模原市の各地に植樹している。先日、「尾崎行雄を全国に発信する会」の代表を努められており尾崎家とも所縁が深い天野望氏に、当町にもこの咢堂桜の苗木を10本分けていただいた。現在、皆さまにご覧いただけるよう準備をしているところだ。
 この咢堂桜が大きく成長し、議会制民主主義による政治の確立と平和国家の実現を目ざす「咢堂精神」が後世にしっかりと受け継がれることを願っている。

平成29年2月3日 感動

 音楽は、悲しみを乗り越える力や勇気を与える。また、物事に立ち向かう人々を鼓舞する力を持つ。音楽は安らぎや感動を与える「心の栄養」であり、うれしい時も悲しい時も寄り添って励ましてくれる。
 大井町では、町民がより良い芸術に触れ合うことができるように芸術鑑賞の機会をつくっている。たとえば東京・横浜方面に出向いて、歌舞伎や文学、音楽に触れ親しむ鑑賞会を開催したり、生涯学習センターで絵画展・コンサートや映画鑑賞会などを開催したりしている。近年は文化団体連絡協議会を中心とした実行委員会により自主的に企画・運営して頂いている。
 今までも、神奈川フィルハーモニー管弦楽団によるコンサートを開催してきたが、今年度は町制60周年記念事業として、1月29日に『情熱のソリスト 石田泰尚リサイタル』を開催した。石田泰尚氏は、2001年に神奈川フィルハーモニー管弦楽団のソロ・コンサートマスターに就任されて以来、『神奈川フィルの顔』として活躍さている。また、硬派管弦楽アンサンブル「石田組」を結成し、ジャンルを問わない演奏でも高い評価を受けており、多くの熱烈なファンを持つ人気演奏家である。
 石田氏はクラッシック演奏家としては珍しい出で立ちをされている。華奢な身体つきでキリリとした顔立ち、短髪に幾筋かの剃りこみ、ピアスや色つきの眼鏡、黒のオープンシャツというファッションも観衆を惹きつけるのであろう。
 1月29日のコンサートでも非常に素晴らしい演奏を披露してくださった。演奏に入ると全神経を集中するかのような顔で、全身で全ての感情表現をするように体をくゆらせ、絃を抑える指はしなやかさのなかに強弱の動きが感じ取られた。たった四本の絃からはいったいなぜ出せるのだろうと驚くような音が発せられ、繊細で優美な音楽を更にきめ細やかに表現されていた。その深い感情が香り立つ、魅惑的な演奏は、ホール満員の430名の観衆を惹きつけた。私もまたその一人として、只々音楽の素晴らしさに心を奪われたのであった。

平成29年1月4日 百尺竿頭

 酉寿、新年明けましておめでとうございます。
 今年は草木が成長して姿や形が充実し、強健な状態となる年であり、またさまざまな事象はその時の状態によっていかようにも変化するため、柔軟に対応することが重要である年と言われております。
 昨年の夏には、リオデジャネイロオリンピック・パラリンピックが開催され、日本選手団では体操や柔道、レスリングや競泳、そして陸上男子400メートルリレーなどをはじめとして、多くの代表選手が活躍してくれました。2020年の東京オリンピックでは、更なる活躍を期待しているところです。
 その一方で、熊本地震や鳥取地震、台風などの自然災害や、津久井やまゆり園での事件、福岡駅前での大規模陥没事故など、心を痛めたり驚かされたりする出来事が多かったように思います。
 世界に目を向けると、アメリカ合衆国の大統領選挙において、共和党のドナルド・トランプ氏が民主党のヒラリー・クリントン氏を退けて、勝利いたしました。我が日本国においても、外交や防衛、経済面などをはじめとしてあらゆる分野で大きな影響を受けることは必至であり、毅然としながらも柔軟な対応が必要であると考えております。
 さて、大井町においては、昨年、未病政策の拠点施設である「未病いやしの里センター(仮称)」における基本協定を、神奈川県・(株)ブルックスホールディングス・大井町の三者により締結いたしました。来年3月の一部オープンに向けて、今年は事業を具現化していく年となります。引き続き、にぎわいを創出するとともに、大井町をはじめ県西地域の活性化へとつなげていきたいと考えております。また、大井中央土地区画整理事業への取り組みや、上大井小学校の改修事業などを推進してまいります。
 今年の私の信条は「百尺竿頭」といたしました。「ひゃくせきかんとう」と読みますが、「すでに工夫を凝らしたうえに、更に努力して向上する」という意味を持っています。課題山積の難局を打開すべく、「百尺竿頭」一歩進めて事に当たる所存でありますので、皆さまの御理解、御協力のほどよろしくお願い申し上げます。
 今年も皆さまにとって良い年になりますよう心からお祈り申し上げます。

平成28年12月2日 冬本番

 11月7日に立冬を迎え、暦は冬となったが、先月は小春日和にふさわしい、穏やかで暖かな日が多かったように思う。富士国際ゴルフクラブで20日に行われたゴルフコンペは、青空のもと裾野まで雪化粧をした富士山と、紅葉に染まった木々を臨みながら小春日和の中でプレーすることができた。富士に見惚れ、紅葉に目を奪われ、芝目を読み違えても楽しい一日であった。
 しかし、二十四節気の小雪となった途端に、北からの寒波が到来し、降雪情報を耳にするようになった。23日の勤労感謝の日は、各地の神社で新嘗祭が行われたが、朝からどんよりとした空模様であった。気象庁によれば、11月の積雪は観測史上初というが、降雪自体も昭和37年以来だという。当時、私はまだ中学生だったが、11月22日の夜半より雪が降り、翌日の勤労感謝の日は朝から一面雪景色となり、ミカンの枝の雪落としをしたことを思い出した。今年は24日の早朝から降っていた雨が雪へと変わり、昼までには地面が真っ白になるほど雪に覆われ、関東一円で混乱が生じた。町では降雪対策を午前中のうちにすべて実施したため、大きな混乱を招くには至らなかった。
 これから本格的な寒さの到来であるが、風邪やインフルエンザなどの健康の問題や路面や水道の凍結などさまざまな冬対策が必要であろう。寒くなると暖房など火を使う機会も多くなるとともに、空気も乾燥し、火災も発生しやすくなる。暖かくすることも大切だが、万全の注意が不可欠である。
 今年もさまざまなできごとがありましたが、皆さまが穏やかな一年を締めくくり、良き年を迎えられることを念じます。

平成28年11月9日 地酒で乾杯

 大井町は、富士山・箱根山系と丹沢山系の伏流水が合流するところだと言われている。また、メタケイ酸を多く含む酒匂川水系の表流水は、昔から良質の米が生産されたため、「西郡米」(にしごおりまい)と呼ばれた。かつては横浜方面の寿司屋さんから求められる時代もあったという。良質な米と伏流水に恵まれた大井町は昭和初期までは5つの酒蔵があった。現在でも「曽我の誉」などをつくっている石井醸造株式会社と、「箱根山」などをつくっている井上酒造株式会社の2蔵が日本酒を醸造している。
 2つの酒造蔵があるということは、大井町の環境が非常に恵まれていることを示している。そこで、この環境を伝統的かつ貴重な地域資源として捉え、観光や商工振興の一助にしようという考えから、今年の町議会第2回定例会において、議員発議によって「大井町地酒で乾杯を推進する条例」が県下で初めて制定された。奇しくも今年は町制施行60年を迎えた記念の年であり、祝賀の式典を11月3日の文化の日に執り行うため、条例施行を11月1日とした。
 11月3日の町制施行60年記念祝賀会では、条例施行の記念行事も併せて執り行った。ご来賓の皆さまと共に町制60周年と条例制定を祝して町内2蔵の「曽我の誉」と「箱根山」を鏡開きし、声高らかに「地酒で乾杯」することができた。
 さて、条例施行を記念し、これからプレゼントキャンペーンが始まる。対象店舗で「大井のお酒」を購入して頂くと、500円ごとに1枚のキャンペーン券が配布される。この券を10枚集めると記念のオリジナル前掛けがプレゼントされる。ぜひ大井町のお酒をお買い上げいただき、忘年会や新年会をお楽しみ頂ければと願っています。

平成28年10月4日 秋の長雨

 真夏の酷暑から、今年は特に9月の心地よい乾いた風を待ちに待っていたが、度重なる台風の到来と、それに刺激を受けた秋雨前線により、長雨が続く刈り入れシーズンとなってしまった。
 今年の梅雨明けは平年より遅いものであったし、梅雨明け後もさっぱりとした夏晴れも少なかった。例年8月中は、朝晩によく盆栽に散水しているのだが、今年はあまりしていない。秋になっても湿度は依然と高く、気温も低く、ジメジメとした日が続いた。2週間ほど袖を通さずにあった背広にカビが生えてしまうほどで、梅雨時よりも高い湿度であったことをうかがわせるものであった。9月半ばからの稲の取り入れ作業にも大きな影響が出ていて、コンバインが転倒したり、刈り取る前に「穂発芽」となってしまったりしたようである。
 秋は行事の多い季節でもある。9月は「敬老のつどい」や「秋の交通安全大会」、「戦没者慰霊祭」などの行事があり、天候が心配であったが、曇天の中、なんとか降られずに済み、胸をなでおろしたものであった。
 10月は各地で秋祭りが行われ、五穀豊穣と家内安全、地域の安寧、また穏やかに1年を終えられるように願われる。今年もさわやかな秋晴れに恵まれ、心地よい秋風の中をみこしの渡御が行われることを願っている。

平成28年9月5日 実りの季節

 ススキの穂が風に揺られてたなびく光景を見ると、厳しい残暑を忘れて、涼しささえ感じられる。田んぼの稲も大きく成長し、稲穂が実り、重みで日ごと頭を下げてきている。作柄も台風の影響をものともせず、平年並みの見立てであるという。今月半ばからの刈り入れ作業は活気がみなぎることだろう。
 そんな中で「山田のかかし祭り」が始まった。太陽の光をいっぱいに浴びたかかしたちは、暑さに負けずに思い思いのいでたちとポーズをとっている。怖い顔、優しい顔など表情もさまざまであるが、実に個性豊かである。ところで、「山田のかかし」と言えば、文部省唱歌の「かかし」を思い出す。作曲者が山田源太郎氏であり、歌詞の中の「山田」はその名前から取ったものであろうか・・・
 山田の中の一本足のかかし、天気の良いのに蓑笠つけて、朝から晩までただ立ちどうし。歩けないのか、山田のかかし。
 当町の「山田のかかし祭り」は、大井町山田にあるブルックス大井事業所の台上で開催されている。まさに本家本元の「山田のかかし」といえるだろう。
 「実るほど こうべをたれる 稲穂かな」という言葉があるように、謙虚に生きることは大切である。実りとは素直さ、謙虚さがなければ得られないものだと思う。稲穂のたれるこの時期、改めて心に刻んだものである。

平成28年6月30日 社会を明るくする運動

 例年、梅雨空の7月1日から全国で「社会を明るくする運動」が展開される。これは、犯罪や非行の防止と罪を犯した人たちの更生について理解を求め、犯罪や非行のない明るい社会をめざす運動である。
 この運動は、昭和24年7月1日に「犯罪者予防更生法」の施行にちなんで行われた「銀座フェアー」を前身とし、法務府(現在の法務省)が犯罪の防止と犯罪をした人たちの立ち直りには、一般市民の理解と協力が不可欠であるという認識を深めるため、国民運動として世に広げようと昭和26年から始まったものである。大井町においても、保護司会、更生保護女性会、人権擁護委員が中心となり、1か月にわたって街頭キャンペーンや講演会などを展開し、「社会を明るくする運動」の趣旨を広く周知していく。
 「犯罪者更生予防法」が施行された昭和24年当時は、戦災孤児や引揚者が街にあふれ、貧困と食糧難の中で、略奪や窃盗、敗戦のやり場のない焦燥感に駆られての暴力など、戦後の混迷とした社会を背景とした犯罪や非行が多発していた。犯罪発生の背景は大きく変遷しているものの、今日も依然として犯罪や非行は減少していないのが現状である。
 一度犯したあやまちを繰り返させないようにさせ、どのように更生させるかは大きな課題である。罪から立ち直った人を排除したり、孤立させたりするのではなく、再び受け入れることが自然にできる地域社会を築くことが必要であり、この運動の重要な役割である。
 梅雨時のうっとうしい季節であり、ややもするとそのはけ口として暴力や非行に走ってしまうことを懸念して、「社会を明るくする運動」はこの季節に展開されるのであろうか。
 多くの方々の理解と協力をいただき、犯罪や非行のない「明るい社会」になることを祈るのである。

平成28年6月3日 初夏の花

 松田山から足柄平野を覗き込むと、酒匂川の両側に広がる田んぼがキラキラと輝きを放っている。目を凝らしてみると、緑色の濃淡が幾何学模様を織りなしている。また、爽やかな光景とともに、梅雨入り前の乾いた風、強く差し込む日差しを心地よく感ずる。
 21日の夏至に向かって日永でもあり、あと数日で梅雨入りとなる6月初旬は、風薫る5月とともに一年の中でも一番よい季節である。しかし、梅雨期にあたる6月は、じめじめとした陰湿な季節としての印象を与えてしまう月でもある。
 今年は例年よりアジサイやハナショウブの開花が早いようであり、我が家の裏の水路のアジサイが強い日差しを避けるように咲き始めた。 町の「花菖蒲園」も見ごろを迎えているし、我が家にも親戚から既に花菖蒲が届けられ、清涼感を満喫している。
 春の花は黄色やピンクの暖色系の花が多いが、夏に向かうにつれ、人間の衣替えと同様に涼しげな色となってくる。
 本格的な梅雨に入るとうっとうしい毎日になるのだが、アジサイやハナショウブは強い日差しのもとより、こそぼ降る雨の中にこそ活き活きと咲く。
 今週末より開成町であじさい祭りが行われる。その帰り道、足柄紫水大橋を渡り、大井町の「せせらぎの郷」の花菖蒲園にもお立ち寄り頂きたいものである。

平成28年5月9日 端午の節句

 暦「皐月」を迎え、二十四節気の「立夏」を迎えた。振り返ると今年の春は、天候のすぐれない週末が多く、農作業や他の予定に支障を感じていた。また、熊本地震後の悪天候は、余震とともに被災者を更に苦しめている。そんなことから4月29日から始まったゴールデンウィークの天候が早くから気になっていた。
 ゴールデンウィークの終盤になって天候を振り返ると、雲ひとつなく澄み渡る青空、照りつける太陽の下で気温は25度を超えた日もあった。4日の未明から朝までは風雨強く嵐の様相であったがその後は回復し、虹が箱根山を飾り、気温はうなぎ上りとなった。あたかも端午の節句、本当に男子の節句に相応しい天気となった。
 最近では、あまり多くは見られなくなった鯉のぼりも、青々と晴れ上がった五月晴れの大空へ、勇ましくも悠然と甍の波を泳いでおり、日々色濃くなる新緑とともに初夏の力強さ感じた。
 被災地の方々は、端午の節句を祝っているどころでないだろうが、鯉のぼりのように向かい風に怯むことなく、たくましく突き進み、大空を舞う鯉のように気高く、勇壮な復興を遂げて欲しいと願っている。 

平成28年4月6日 花徒然

 木々の芽は未だ平静を装っているが、春は里から野山までいろいろな木々の花が開き始める。遅咲きの梅には未だ花弁を残すものもあるが、4月となると桜や桃の季節となる。
 我が家の庭ではサンシュユ(山茱萸)の花は終わりを告げたが、キブシ(木五倍子)が開花となった。キブシの実はタンニンが多く、その昔、江戸時代にはお歯黒に使われたと聞く。お歯黒は本来、ヌルデの葉に寄生してできる虫こぶのふし(五倍子)を利用する。キブシはその代用として使われていたため、「木五倍子」の名がつけられたのだそうだ。
 また、今元気に咲き誇っている花桃の照手姫は、枝が箒状に上へと伸びる。そのため、枝垂れやその他の横に枝が伸びる性格の桃と異なり、庭木としては管理しやすい。なお、この照手姫は神奈川県園芸試験場で開発されたものである。
 見ごろを迎えたマメザクラ(豆桜)、別名富士桜は可憐な花を咲かせ、花の命も長い。この桜は富士の裾野のゴルフ場でもよく見ることが出来る。染井吉野は明治時代になって確立された品種だが、この富士桜は戦後に確立された桜であり、御殿場市の渡辺健二氏が育成の努力をされたと聞く。
 桜といえば近年、「足柄桜・春めき」という品種が、南足柄市の古屋富雄氏によって足柄から日本各地に広がりを見せている。ぜひもっとたくさんの人から親しまれる桜となって欲しいものだ。
 桜の花は世界の人々からも愛される花となった。時の東京市長・尾崎咢堂がアメリカへ贈り、ポトマック河畔に植えられた桜も日本に里帰りを果たした。この桜は日米友好の証であり、当町でもその苗木を分けていただくことにした。
 今年度も花を愛でおおらかな心で日々過ごせることを願うものである。