○裸心版とは・・・
このタイトルは、町長としてのさまざまな体験を通じて感じたことを着飾らずに素直に『裸の心で発信』することで、町の進むべき道を皆さんにも考えてもらいたいという思いから「裸心版」としました。
※「羅針盤」は、船や航空機などで方位を知るための器具で、大航海時代の幕を開く重要な航海計器。
※広報おおいに掲載した原稿をWeb用に改稿して掲載しています。2カ月に1度程度の頻度で更新する見込みです。
先日、内閣府が実施した我が国の死刑制度に関する意識調査の結果が、ある新聞に公表されていた。調査方法の適切さなどを巡り、死刑制度の存廃についてはさまざまな疑問や見解があるようだ。
これまでの冤罪事件を考えると、より慎重な熟議も必要かなと思う。そんなことを考えていたら、獄窓の歌人・死刑囚 島秋人(本名 中村覚)の逸話を思い出した。歌人の窪田空穂記念館調べによれば、島秋人は幼少を満州で育ち、戦後新潟に引き揚げたが、父は失業の果てに亡くなり、母は過労と栄養失調で亡くなった。本人も病弱で結核やカリエスになり、7年間もギプスをはめて育ち、学校の成績は最下位で、周囲からも認められず、貧しさと飢えによる非行と犯罪で少年院と刑務所を経験していた。1959(昭和34)年の雨の夜、飢えに耐えかね農家に押し入った。2千円を奪ったが、その際、家の人と争いになり、主婦を殺してしまった。島秋人が歌作りを始めたのは死刑判決を受けた後からだった。中学校時代、成績も最下位のうえ、周りからも疎んじられ性格も荒んでいたが、たった一度だけ、先生に褒められた嬉しい記憶があった。美術の吉田先生が、みんなの前で「お前の絵は下手だが、構図は一番良い」と言ってくれたことだった。そのことに感謝し、彼は刑務所から吉田先生に手紙を出した。死刑囚の自分に返事など来ないと思っていたが、すぐに先生から驚きと情けと厚意の入り混じった返事が届いた。その中に、先生の奥様の短歌が三首挟み込まれていた。その手紙と短歌が歌人・島秋人誕生の機縁となった。その作品のいくつかが、選者の窪田空穂の目にとまり、多数の歌が毎日歌壇賞を受賞した。それらの歌は死刑執行後に「遺愛集」として発刊されている。その中で「…僕は気の弱い人間でしかない者だったと思う。…生きることは尊いことです。僕は犯した罪に対しては『死刑だから仕方ない、受ける』というのではなく『死刑を賜った』と思って刑に服したいと思っています。」と述べている。おそらく自らの罪を悔いると同時に命と生きる喜び、体を流れる血の温もりを感じることができたのだろうと想像してしまう。
死刑執行確定後に詠んだとされる、「ほめられしひとつのことのうれしかり いのち愛しむ夜のおもいに」の一首には、たった一言の褒め言葉が人の心を救い、生きる力と人生を変えるきっかけにもなるものかと感じた。