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裸心版 2023年度

印刷用ページを表示する更新日:2023年5月31日更新

小田町長の裸心版 2023年度

○裸心版とは・・・

このタイトルは、町長としてのさまざまな体験を通じて感じたことを着飾らずに素直に『裸の心で発信』することで、町の進むべき道を皆さんにも考えてもらいたいという思いから「裸心版」としました。

※「羅針盤」は、船や航空機などで方位を知るための器具で、大航海時代の幕を開く重要な航海計器。

※広報おおいに掲載した原稿をWeb用に改稿して掲載しています。2カ月に1度程度の頻度で更新する見込みです。

第4回 2024年 3月 『「もしも」と「まさか」』

 2024(令和6)年元日の16時10分に発生した石川県能登半島の大地震は、多数の死者と被災者そして4万8000棟超えの住宅被害、地盤の液状化や隆起、さらには津波・火災などにより、甚大な被害を引き起こした。お亡くなりになった方々には心より哀悼の意を表するとともに、ご遺族と被災者の皆様にはお見舞い申し上げ、1日も早い復興を祈るばかりである。発災直後から自衛隊、警察、消防をはじめ医師など、さまざまな専門分野の組織団体が、全国から集まり救援活動に取り組まれている。本町でも総務省の要請に基づき、2月2日から町職員を1人ずつ約1週間交代で石川県志賀町に応急対策派遣している。主な職務は、罹災証明書の発行や物資受け入れの調整や避難所運営の支援などである。

 報道によれば、被災地ではほぼ全域での断水や道路の寸断で、復旧復興作業も制限され厳しい状況であるという。被災者の暮らしを立て直すための住まい確保など、生活再建には多くの深刻な課題が想定される。また、復旧復興が進んでも、突如失われた生活環境にご遺族や被災者の心が急には適応できないPTSD(心的外傷後ストレス障害)など、生活面での心の安寧に対しても、きめ細やかな気配りが求められるものと考える。また、「環境の変化」に弱い方も多い障がい者の暮らしの確保への適切な対応も重要である。さらには、既存のごみ処理施設が被災し稼働不可能となった場合の大量な災害ゴミの処分や、災害用備蓄品の枯渇対策など、再構築すべき深刻な課題が山積している。

 「正常性バイアス」という言葉がある。自然災害や火事、事故、事件などといった自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉えてしまい、「自分は大丈夫」「そんな大事にはならない」などと悪い情報を無視しがちである。しかし、昔からの言葉に「備えあれば憂いなし」がある。平時にできないことは非常時にはできないだろう。 「もしも」と「まさか」の境界線を無くし、検証を重ね、災害時の想定課題をすべて自分事として捉えた緻密な防災減災対策が必要であろう。そして、訓練や防災教育を繰り返して、その実効性を高めていく必要があると考える。

第3回 2023年 11月 『どうする草刈り』 

 「世の中に雑草という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている。…」

 NHK連続テレビ小説「らんまん」でモデルとなった、日本植物学の父と言われる牧野富太郎博士が残した名言である。草花を一途に愛したからこそ出た言葉だろう。私の家の周りでも雑草だけはよく生えてくる。特に夏季は生育が早く、暑い日中の草刈りには大変苦労するが、この名言が草刈りの手を一瞬鈍らせる。だが、多くの人は生活範囲の雑草雑木の繁茂は嫌うものだ。ましてや生活道路に覆い被さる状況ともなれば、安全快適な通行の妨げにもなるし、病害虫の住処にもなり、また景観も見苦しい。これは特に山間部の地域では深刻な問題となってきているようだ。 これまでは隣接する田畑の地主や耕作者が、または地域自治会の方々が、害虫防除や環境美化作業の一環として自発的に管理してきた。

 しかし、昨今では自治会員の減少や高齢化に伴い、草刈り、枝落としのような危険性と技術力、更には労力が求められる奉仕活動への人手不足が課題となってきている。「地域のことは地域で」とはいうものの、農業従事者の減少と耕作放棄地の増加、所有者不明の土地などのさまざまな理由から、現状は生活環境保全の維持が困難なようだ。

 雑草や草木が生い茂る見通しの悪い場所は、動物が隠れる場所や餌を食べる場所となり、また動物が人に姿をさらすことなく農地にアクセスできる場所になる。更には、居住地周辺でのイノシシや鹿などの出没や野生鳥獣被害、またヤマビル、ナラ枯れなどの原因になるとも言われている。そのため、藪の刈払いや間伐などの対策を行い、明るく見通しの良い環境をつくることが大切だといわれているが、さてそれではどうすればこの課題を解決できるのだろうか。土地の所有者の管理責任を大原則としつつも、公道など住民が利用する場所の安全性、利便性や環境景観の保持には行政の助けが必要となってくるということだろうか。しかし、雑草雑木はとめどなく繁茂する。すると町民からお預かりした大切な税金を、無制限に使用することになってしまう。可能であるなら、行政介入のガイドラインを適格に定めたうえでの実行が求められると私は考える。

第3回 2023年 9月 深化するひょうたん祭

 今年の夏はコロナウイルス感染症拡大防止の行動制限も解除され、各地で夏祭りなどのイベントが4年ぶりに開催されて、どこの会場も多くの人出で賑わったようである。

 わが大井町でも先月8月5日に第37回目となる「大井よさこいひょうたん祭」を開催した。当日は最高気温が33・6℃の真夏日であったが、約3万人の来場者でたいへんな賑わいであった。協賛企業や団体・個人の方々など、ご協力いただいたすべての関係者に心より感謝申し上げるところである。

 『ひょうたん祭』の歴史を振り返ると、昭和45年にJR御殿場線上大井駅の駅員さんが乗降客の日よけのために植えたとされるひょうたん棚の涼しげな風景が、昭和56年にJR(当時の国鉄)の時刻表8月号の表紙を飾り、このことをきっかけに上大井駅は「ひょうたん駅」と言われるようになった。ここから「ひょうたんの町おおい」の歴史がスタートしたようである。

 昭和62年には前身となる第1回「エキサイティングサマーおおい87」が開催され、その後、平成6年に「おおいひょうたん祭り」となり、平成14年の第16回からは現在の「大井よさこいひょうたん祭」と改名されている。その間には、「ひょうたん」による町おこしの一環として全日本愛瓢会の大井町展示総会が開催され、秋篠宮殿下が来町されている。また、町制50周年に「神奈川県知事賞」「高知県知事賞」が新たに設けられた。開催会場は、当初の湘光中学校グラウンドから体育館南側の駐車場へ、そして令和4年からは現在の「おおい中央公園」へと変遷している。こうして長きにわたり継続できてきたことは、関係者のお祭りへの熱い思いがあったからであろう。伝統を守り、継承し、さらに未来へ向けて飛翔することは、『まちづくり』の要諦であろう。祭りを続けていくということは、真摯に「良い祭」を突き詰めていく熱い思いの襷リレーを、途絶えることなく繋げていくことではないだろうか。乗降客の日よけのために植えたとされるひょうたん棚の涼しげな風景がそもそもの始まりだとすれば、自然を愛し、思いやりのある優しいおもてなしの心が「大井よさこいひょうたん祭」の原点であり、継承すべき熱い思いだと私は思っている。

第2回 2023年 7月 ある休日の出来事

 新型コロナウイルス感染防止対策による外出自粛要請などの規制が緩和されたことにより、町内外のさまざまなイベントが開催されはじめ、地域にも賑わいが戻ってきた。休日の催しも増え、それぞれの会場ではこれまでなかなかお会いすることがかなわなかった皆さんとお話しできることを嬉しく思っている。

 そんなある休日の出来事である。朝9時から大井町スポーツ協会主催の第42回町民卓球大会の開会式に出席し、会場の体育館を出ると、隣接するおおい中央公園で、「NPO法人にないて」の皆さんが、ボランティア活動で花壇にお花を植栽してくださっていた。毎日多くの来園者が訪れる公園をこのようにきれいに飾っていただいていることに心から嬉しく感謝した。参加者の皆さんと少々会話を交わしてから次に向かったのは、相和地区にある「農業体験施設 四季の里」である。その日は「夏の収穫体験フェス」が開催され、近隣の市町や横浜市、川崎市、藤沢市、茅ケ崎市などから約150人の家族連れが参加して賑わっていた。会場近くの畑でのジャガイモ収穫体験のあとは、バター作り体験や四季の里に併設されているピザ釜で、採れたてのジャガイモと地元野菜を使用したピザ作り体験が行われていた。同時に、参加者や四季の里直売所利用者に対して、JAかながわ西湘相和女性部の皆さんのご協力で豚汁としし汁が無料サービスされ喜ばれていた。私もご相伴にあずかったがとても美味であった。居合わせたある女性からは「四季折々の草花を植えて四季の里周辺を更に賑やかにしたいわ。私たちも協力します。」という話を聞くことができた。また、隣接する貸農園の利用者で、プロの漫画家でありながら罠猟免許を持っているという自称女性ハンターの方からは「とても良い所なので大井町に農地付きの住まいを探しているのよ。」といった嬉しい話を聞くことができた。いずれの話も地域活性化策への町の役割を改めて考えさせられた。今回の「夏の収穫体験フェス」が一般社団法人神奈川県大井の里体験観光協会、四季の里直売所出荷組合、JAかながわ西湘相和女性部のご協力で開催できたことには、心より感謝するところである。

 帰路の途中では、地元消防団の方々が休日返上で点検・訓練を行っていた。地域の皆さんのご協力によって町は活気を取り戻し、人々の笑顔が戻ってきた。こうしたさまざまな分野での多くのご協力には、心からの「ありがとう」の言葉しかない。

第1回 2023年 5月 こいのぼり伝説

 5月こどもの日と聞けば、二つの「こいのぼりの歌」を思い起こす。
 1曲目は、「甍の波と雲の波 重なる波の中空を 橘かおる朝風に…」で始まる文部省唱歌「鯉のぼり」であり、もう1曲は「屋根より高い こいのぼり 大きい真鯉はお父さん…」で始まる童謡の「こいのぼり」である。
 一つ目の歌は大正時代に作られたものとされ、今はあまり使用されないわかりにくい言葉の文語体で、もう一方の曲はわかりやすい口語体で作詞されている。どちらも共通しているのは男の子が健康に育つことを祈っていることのようだ。

 中国の故事に、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが、鯉のみが登り切り竜になることができたという伝説があり、大変な競争に勝ち残った人を「竜門を登った」といい、成功のための関門を「登竜門」というようになったとのことである。それゆえに「こいのぼり」をあげるのは、わが子に鯉のように体も心もたくましく成長して社会で成功してほしいという願いからとのことである。

 ところが、少し調べてみたら全国には、「こいのぼりをあげない」という地域がいくつかあるようだ。いずれも言い伝えではあるが、大変興味深く感じた。
 そのうちの一つは、埼玉県北西部の矢納地区(神泉村)に今も残る「平将門」伝説である。「平将門が城峯山に立てこもっているとき、矢納のある家であげたのぼりで所在が敵に知れてしまい、将門は戦に破れた。こいのぼりをあげると、その家には不吉な出来事が起こる」との言い伝えが代々伝わり、こいのぼりをあげていないとのことである。その他にもさまざまな伝説があるようだが、なかでも興味を感じたのは、本町と同じ名前の京都府亀岡市大井町にある大井神社の伝説である。大井神社では、祭神が鯉に乗って保津川の急流を上ってきたという伝承から鯉が神の使いとされ、氏子が鯉に触れることを禁じている。そのため大井町では端午の節句に「こいのぼりはあげない」とのことである。こんなに時代が進んでも言い伝えを守り続けるって、なんだかとても面白いなと感じるところである。

 それにしても、現在では住宅事情や少子化からなのか、屋根より高いこいのぼりをあまり見かけなくなってしまったが、時代の流れや生活様式の違いはあれど、子どもの健康と健やかな成長を願う気持ちは今も昔も同じなのである。